目次

  1. 0. 劇的な絵画[dramatic]
  2. 1. 線[line]
  3. 2. 水平と垂直[horizontal/vertical]
  4. 3. 静寂[silence]
  5. 4. 叙情[lyricism]
  6. 5. 平面[ground-field]
  7. 6. 終わりに-線と色が生み出す生命体[somebody]

0. 劇的な絵画[dramatic]

これまで僕の作品たちは、力強くて、劇的で、エネルギーに溢れている、そんな風に形容していただくことがとても多かったように思います。それ自体、表面的には確かに自分の描くものの強みでした。

しかし、その「劇的な効果」は自分が本当に生み出したいものなのか、絵画というものを通してつくりたい体験は、その作風と矛盾ないか、そんなことを考えていました。

僕が目指すのは

『作品を通じて他者の確かな体温や呼吸、脈拍やにおい、といった類の存在に文字通り「触れる」ことを介して、全てと共に在る自己の存在を確信し、世界と一続きになった自己を感じる体験を得る』

ことであり、それは「絵画を前にして、あるいは絵画に触れて涙を流す」という一種の宗教的なカタルシスを伴った体験足り得るものになるということです。

そこへ向かうとき、僕は何を如何に用い、何をカンバスの上に描くべきか。そう考え続けた先に生まれた、[somebody] という作品に関する解説を兼ねて、僕の絵画を構成した要素が持つ確かな意味を、ある種においてカンディンスキーが行ったのと同様の科学や音楽的視点を含めて、考察していきたいと思います。

画像1

– [somebody] oil, sunlight, rain on canvas. F60. 2021.

1. 線[line]

「線」とはなにか。

それは、幾何学において目に見えない存在であり、線とは運動から生まれるものです。例えば外部の力が点をある方向へと方向を変えず動かすとき、それは「直線」となります。(ここにおいて重要な線の性質は「運動(ヴァシリー・カンディンスキーのいう『緊張』)」と「方向」の2つです。)

直線は主として3つに大別できます。それは、「水平線」「垂直線」「斜線」である。それぞれの持つ性質について、次に述べるていきます。

2. 水平と垂直[horizontal/vertical]

水平線は、地球の重力と直交する方向に現れます。それは「冷たく」「平らな」無限運動の可能性を示す非常に簡潔な形態であるということができます。

対して垂直線は、水平線と直角に交わる方向に現れます。「平ら」であることは「高さ」に替わり、そこでは「冷たさ」は「暖かさ」に替わります。それはすなわち、暖かい無限運動の可能性を示す非常に簡潔な形態となります。

斜線については多くは触れませんが、先に登場した2つの対比として触れます。それは冷たさと暖かさの両者を併せ持った無限運動の…以下同じ。

つまり直線の傾き具合は、その線が持つ「温度」に直結する、というわけです。

3. 静寂[silence]

水平線と垂直線のもつ色価について検討していくと、それは「黒と白」の比較に辿り着く、と言われることがあります。「黒と白」が「ものいわぬ色彩」と言われるように、この2つの線は「ものいわぬ線」と表現することができるというのです。

だとするならば、ものいわぬ線において、その「響き」は最小限に、沈黙かほとんど聞き取れないような囁き、静寂にとどまるということになります。

ここでは、この「静寂」が非常に重要です。

現代において、発達したインターネットやそこに溢れる情報、関係性の増加によって、私たち人間には外部から様々な要求が課せられており、過剰な刺激によって麻痺されられている状況があります。それを時代背景の異なる1920年代においてもカンディンスキーは同様に認識し、その著作の中で「奈落」や「窮地」という言葉で触れました。

この「静寂」は、私たちのような現代を生きる人間にとって、今や失いかけているものであり、静寂それ自体が私たちにとってのオアシス足り得ると私は考えます。

都会の喧騒、SNSの氾濫、それもこれも現代には必要なものです。全て、それ自体が悪であるものなどひとつもないのです。そこまでわかったうえで、自分の求める体験を絵画の目の前で起こすには、この「静寂」を意図的に生み出す必要があると考えました。静寂は私たちの内側にも沈黙を引き起こすものであるからです。

それは鑑賞者を深淵へと導き、自分自身、あるいは拡張された自己としての自分に意識を向けることを可能にします。その先に、私が絵画に求めるべき鑑賞体験があるのです。

私はこの静寂について、色(光)という要素を白と黒のみを用いて他の色を排除することはあえて避け、彼ら自身には意思をもたせながら、一方で水平線と垂直線というコンポジションに、この静寂を求めています

これが私の絵画に、水平・垂直という2つの線が横たわっている第一の理由です。

4. 叙情[lyricism]

直線とは全てにおいて叙情的である、といいます。

叙情的である、ということは、叙事的(事実を述べ表す)であることの対比であり、それは「感情について述べ表している」ことにあたります。特に音楽において用いられることが多く、また音楽において叙情的であるという表現は特に「物哀しい様子」のことを語り、悲しみ、哀愁、切なさのような単体の感情を超越した意識下にあるさまざまな感情が入り乱れた、胸に訴え掛ける直情的な美旋律のことを指します。

直線によるこの「直情的な訴えかけ」とは、マーク・ロスコが言及した「純粋な形態での、基本的な人間の感情(悲劇、エクスタシー、運命など)の表現」へ通ずるものであるということができます。

点(同様に静寂を持つ要素として)や線のような最も純粋で簡潔な形態は、それ自体で完成した言語となりうるものです。余計な要素を排除し、純粋で簡潔な形態のみで表現することは、最高の正確さを得ることへと繋がっていきます。そうして、純粋な形態によったコンポジションは生命を持った内容を獲得するのです。そこに、生命が宿るのです。

このことが、私の絵画において水平・垂直という2つの線が存在する第二の理由となります。

5. 平面[ground-field]

(物質的)平面についても、上下や左右のような構造の差異はあれど、基本的には線と同様の道筋で説明することができます。冷たさや暖かさ等、同様の性質をそこに見て取ることができますが、ここではこれ以上は詳しく書きません。長くなりましたし。

ここでは余談ですが、線と平面、あるいは点と平面というのはそれ自体区別があいまいなものであると考えています。近くで見れば平面でも、遠くからみれば線なのです。横10㎝×縦1メートルのカンバスに一色で塗られた平面であっても、もしカンバスを超えて横幅を10㎞に拡張された場合まで想定されていたのだとしたら、それはきっともはや、線に見えるでしょうから。

線であるが平面ともいえる、平面であるようだが実は線である、そんなものを、私はきっと描いているのでしょう。

6. 終わりに-線と色が生み出す生命体[somebody]

ここまで書いてきた通り、[somebody]という作品は、静寂と叙情を伴った線と、成分(レシピ *以前のnote参照)に基づいて何重にも塗り重ねられた色という、私にできうる限りで最も純粋で簡潔な形態での表現の産物であり、彼らからなる構成は絵画に生命を宿すことができるのです。

これはひとつの、私にとっての重要な要素としてあり続けるのだろうと思います。より研ぎ澄まし、作品に昇華していくことを目指し、明日もカンバスに向かうこととしましょう。それでは。

2021/06/24.

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